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  3. 【第二回】東京2020パラリンピックでのメダル獲得(東京2020パラリンピック バドミントン 女子ダブルスSL3-SU5クラス 銅メダリスト 伊藤則子選手)

2023年03月24日

【第二回】東京2020パラリンピックでのメダル獲得(東京2020パラリンピック バドミントン 女子ダブルスSL3-SU5クラス 銅メダリスト 伊藤則子選手)

大学時代にバドミントン競技に出会った伊藤則子選手。
前回のインタビューではスポーツとしてのバドミントン競技の見所を解説していただきました。
今回は、これまで積み重ねた大会や東京2020パラリンピックの経験や当時の心境についてお話を伺います。


※写真撮影時のみマスクを外しています。


 
interviewer
伊藤選手のバドミントン競技デビューについて教えてください。

伊藤選手
バドミントンを始めてから1年と早い段階で日本選手権に出場しました。

interviewer
1年で日本選手権出場ですか!?
初めての大会の感想を教えてください。

伊藤選手
とにかく大変でした!
ダブルスで組む選手と練習をする時間も無く、本番で合わせました (笑い)
初めてのスポーツ大会だったので、特有の雰囲気にのまれてしまい「とりあえず出場した」というのがデビュー戦の感想です。
しかし、この大会で入賞できたので、2002年のフェスピックの選考合宿へ参加することになりました。

interviewer
初めての大会で入賞、選考合宿にも召集されて、華々しいデビュー戦でしたね!

伊藤選手
入賞できたのは、当時まだパラバドミントンの競技人口が少なかったのもあると思います。
国際大会にも出場する選手が少なく、依頼されて出場することもよくありました。
しかし、初めて参加した選考合宿では代表選手には選ばれませんでした…。
強いモチベーションでバドミントンの選手を目指していたわけではなかったのは本心ですが、2002年のフェスピックの代表に選ばれなかったことがとても悔しく、ここから本格的に競技に取り組むようになりました。


 
interviewer
その他に印象に残っている大会は?

伊藤選手
2012年の日本選手権です。
大会前にヘルニアになってしまい、痛み止めの注射をして挑んだのですが、結果一回戦終了後に棄権して、開催地の長崎からストレッチャーで帰ってきたので印象に残っています。
この経験から、怪我をしない身体づくりを意識するようになりました。
実はこの時期バドミントン競技から離れていて、競技復帰後の初戦だったこともあり、より強く記憶に残っています。

interviewer
次に、国際大会デビューについて教えてください。

伊藤選手
2005年に台湾で開催された世界選手権です。
全てが初めての体験だったので、緊張したことを覚えています。
試合自体も出場していたのが女子では5組ほどで、今のようにクラス分けもありませんでした。
とにかく試合に必死で、楽しむという余裕は全くなかったです(笑い)

interviewer
国際大会での食事はいかがでしたか?

伊藤選手
当時は自分に経験も知識もなく、周りにもアドバイスしてくれる方がいなかったため、特に準備をしないまま台湾遠征に挑みました。
幸い同じアジアである台湾ということもあり、食事に困ることはありませんでした!
今は国際大会にも慣れてきたため、食事は日本で準備したものを持参しますが、食事に困った記憶があるのは、2018年にジャカルタで開催されたアジアパラ競技大会です(笑い)
日本食は持参していたのですが水が合わず、野菜やフルーツを食べることができなかったので困りました。


 
interviewer
これまでで印象に残っている国際大会を教えてください。

伊藤選手
やはり東京2020パラリンピックです。
念願だったバドミントン競技の正式競技化、しかも自国開催ということで、私自身強い気持ちで臨みました。

コロナによる延期で、大会が開催されるかも不透明で不安が募っていたこともあり、開催決定が発表されて安堵したというのが正直な感想です。
延期から開催決定まで、オリンピックやパラリンピックを取り上げているメディアを目にするだけで不安に包まれ精神的に辛い時期でした…。
バドミントン競技が初の正式競技に採用され、しかも自国開催ということで並々ならぬ思いがあり、「コロナの状況から開催すべきではないかもしれない」「だけど開催してほしい」という複雑な気持ちで葛藤を抱えていました。
そのとき支えてくれたのは、同じ境遇の仲間の存在です。
気持ちの共有ができたので、「一人ではない」と自然に思うことができました。

interviewer
東京2020パラリンピックは無観客での開催でしたが、いつもと違う雰囲気でしたか?

伊藤選手
パラリンピックの会場は全般的にオリンピックとは違って静かなことが多く、無観客での開催でも戸惑いはありませんでした。
しかし、会場に入った瞬間から雰囲気に圧倒され、気が引き締まりました。
大会エンブレムなどの装飾や整備された施設には統一感があり、パラリンピックで戦うという実感や高揚感もこの時感じました。
他の大会と比べても特別な大会だったと思います。

interviewer
メダル獲得が決まる3位決定戦について教えてください。

伊藤選手
普段より気持ちに余裕がないまま試合に挑んでしまったように思います。
コートによって風が全く異なるのですが、シャトルが思ったように飛ばないコートだったため、焦りを感じていました。
しかし、その焦りがちょうど良い緊張感となり集中して試合に挑むことができました。
ペアの鈴木選手とは笑顔を絶やさずバドミントンをしようと話していましたが、メダル獲得が決まった瞬間は涙が溢れました。
この涙は喜びもありましたが、メダル獲得という目標が達成できた安堵感も一気に押し寄せて泣いてしまいました。
鈴木選手に引っ張ってもらいメダルを獲得することができ、一緒に喜びを感じ合うことができた最高の瞬間でした。
表彰式ではメダルが想像より重たいことが印象的でした。この重みは「ここまで歩んできた価値の重み」だと感じ、さらに感動しました。


 
interviewer
試合以外で印象に残っていることはありますか?

伊藤選手
ボランティアの方々が印象に残っています。
もともと自国開催ということで不安はありませんでしたか、ボランティアの方々が会場や選手村、関係施設のどこへ行っても温かく迎えてくださったので快適に過ごすことができました。
皆さんの支えがあってこそ、大会が成り立っていることを改めて実感できたので、ボランティアに参加していただいた方には感謝で一杯です。

interviewer
ボランティアの方々と交流はされましたか?

伊藤選手
手紙をいただけたことが、とても嬉しかったです。
また、練習用コートに様々な国の言語で書かれた応援メッセージが飾ってあったのは、感動しました。これは各国の代表選手たちの励みにもなったと思います。
会場までの移動中にも沿道から手を振ってくださる方がいて、力がみなぎったことをよく覚えています。
こういった、応援の声を受けることが、選手にとってどれだけ心強いか!
応援は、パワーと安心感をいただけます。

interviewer
そのほかに思い出はありますか?

伊藤選手
選手村での食事がとにかく美味しかったことです!
メインダイニングとカジュアルダイニングがあり、メインダイニングは各国の食事が用意されており、カジュアルダイニングには全国から食材を取り寄せて調理した日本食が用意されていました。
こだわりの料理もありフルーツも新鮮で、私はカジュアルダイニングの方によく行っていました。最終日には、メインダイニングでピザやパンケーキなど、「試合が終わったら食べよう!」と思っていたものを好きに食べました。
おでんやお好み焼き、天ぷら、お寿司などの日本食も充実しており、海外の選手が喜んでいました。
意外だったのは、お寿司のガリと冷凍餃子が海外の方に人気だったことです(笑い)
栄養サポートを受けているため、身体に必要なものを食べるようにしていますが、試合後の食事は楽しみのひとつです。

interviewer
伊藤選手にとって、東京2020パラリンピックは全体を通してどのような大会でしたか?

伊藤選手
パラバドミントンにとっても念願の正式競技となった大会で、開催されたことがただただ嬉しかったです。


 

東京2020パラリンピックは、様々な方に支えられて出場できたという思いが強かったので、少しでも恩返しができればと、感謝の気持ちを示すことができた大会となりました。






日本代表アスリートとして挑む東京2020パラリンピック。
数々の葛藤やプレッシャーを克服して勝ち取った銅メダルにも、周りのサポートへの感謝を忘れない伊藤選手。
次回は地元開催される第5回アジアパラ競技大会への思いや、ご自身の障がいや困難への立ち向かい方についてもお話を伺います。

第三回 2023年3月31日(金曜日)掲載記事につづく>


【第一回】バドミントン競技との出会い(東京2020パラリンピック バドミントン 女子ダブルスSL3-SU5クラス 銅メダリスト 伊藤則子選手)
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