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2023年01月27日

【第一回】アジア競技大会を愛知県・名古屋市に招致せよ!(愛知県スポーツ局 成瀬一浩局長)

第20回アジア競技大会・第5回アジアパラ競技大会まで、あと約3年半となりましたね。
このコーナーでも、大会に向けて日夜トレーニングに勤しむアスリートへ出場経験者としての見地から、また、大会準備に携わる職員へ関係者としての見地から、大会の魅力や楽しみ方、大会後の愛知・名古屋の姿についてインタビュー取材してきました。
その一方、そもそも大会が愛知・名古屋で開催されることになった経緯については、あまり語られなかったように思います。
そこで今回は、愛知・名古屋でアジア競技大会を開催させる招致活動に深く携わった成瀬局長にお話を伺いました。
この大会を愛知・名古屋に招致することを使命とし、現場で活躍した成瀬局長のインタビューを2回にわたりお届けします!


※写真撮影時のみマスクを外しています。


 
■愛知県スポーツ局 成瀬局長
・1987年愛知県庁入庁後、県が手掛ける中部国際空港やリニア中央新幹線等のビックプロジェクトに最前線で携わってきた、まさに「歴戦の強者」。



interviewer
成瀬スポーツ局長のご趣味は?

成瀬局長
私は毎日走って少しだけ筋トレもしています!
平日6キロ、休日10キロと決めて走っています。足が痛くて走れないときも、ウォーキングは欠かせません。
体を動かさないと、逆に調子が悪くなってしまう気がするほどです (笑い)

interviewer
さすが、スポーツ局長ですね!
他に趣味や好きなものはありますか?

成瀬局長
お酒も好きですし、歴史物の作品の読書も好きです。
日本中世史(平安時代後期から戦国時代)に興味があり、最近は室町時代を題材にした本を読みました。


 
interviewer
これまで、数々の愛知県の事業に携わった経験をお持ちですが、印象に残っているプロジェクトは?

成瀬局長
これまで、いろいろなプロジェクトに携わる機会を頂き、どれも思い出に残っているし、勉強させていただきました。敢えてどれか一つと言えば、長い期間携わった中部国際空港に関連する事業でしょうか。
断続的ではありますが、10年間近く中部国際空港や近隣の開発計画推進の仕事に関与しました。

interviewer
中部国際空港のプロジェクトで思い出に残っている出来事は?

成瀬局長
「中部国際空港株式会社」設立の前段階が特に思い出に残っています。それまで県が主導して推進していたプロジェクトを、民間企業各社の叡智を結集して法人を立ち上げました。官民一体となって、中部国際空港が独り立ちしてゆく実感と高揚感に満たされたことを、昨日のことのようによく覚えています。
中部国際空港株式会社が発足したのは1998年ですが、私は1997年3月で一旦プロジェクトから離れることになっていたので、土台作りが固まったことへの安堵や心残りもありました。
後年、中部国際空港への出向と第二滑走路を作るプロジェクトにも携わりましたが、やはり「立ち上げ」時の仕事は特に思い出深く、私を成長させてくれた経験でした。


 
interviewer
腰を据えて、プロジェクトと向き合う成瀬局長の原点を垣間見た気が致します。
このプロジェクトを経て、2014年からはスポーツ行政の部署に配属され、いよいよアジア競技大会の招致活動に携わっていくこととなりますが、順調に進みましたか?

成瀬局長
アジア競技大会の招致について当初は、招致活動開始まで、「アジア競技大会について研究や勉強会を重ね、準備万端の状態で、招致レースに参加する」と考えていました。
しかし、想定とは違った動きがあり、大変でした(笑い)

interviewer
何が起きたのでしょう!?教えていただけますか?

成瀬局長
当初の見込みより早く、日本オリンピック委員会(JOC)による国内立候補都市募集が開始されることになりました。
この動きに対応するため、愛知県での開催構想の策定や、経費積算および想定競技会場の選定等、メンバー一丸となって数か月調整し取りまとめました。
その作業は、今振り返ってみても苦労の連続でした(笑い)

アジア競技大会ほどの大規模国際スポーツ大会の計画は、経験もノウハウも無いなかで、タイムリミットを意識しながらの作業でした。また、候補として選ばれなければならないというプレッシャーも感じていました。


 
interviewer
これまで携わった事業とは、ある意味全く違うご経験という事ですね!

成瀬局長
まさにその通りだと思います。
自治体や各団体の調整・交渉作業は、それまでも経験していたのですが、より高次元な事の連続でした。
その時は文字通り、「四六時中、アジア競技大会のことで頭がいっぱい」でした。今となれば、笑い話ですが、あまりにもいつもアジア競技大会のことを考えていたので、曜日感覚がなくなり、アポイントの曜日を間違えたことも(苦笑)!
とにかく、メンバーと、「がむしゃら」に取り組んでいました。

interviewer
文字通りゼロの状況からのアジア競技大会の招致活動。いざ招致が決まった時の感想はいかがでしたでしょうか?

成瀬局長
プロジェクトとしては、とにかく悪戦苦闘の上でのやり甲斐のある業務でしたので、先ずは「やりきった」という思いが強くありました。


 

曜日の感覚がなくなるほど「がむしゃら」に取り組んでいた招致活動。当時、一緒に働いてくれたメンバーには今も感謝しています!






1987年愛知県庁へ入庁され、長きにわたり様々なプロジェクトに携わってきた成瀬局長。
成瀬局長をはじめ、招致活動に携わった方々のご活躍により、2026年にアジア競技大会・アジアパラ競技大会が愛知・名古屋で開催されることになりました。
次回2月3日(金曜日)発信の第二回では、招致以降の大会準備に関するお話と、2026年の大会に向けたメッセージをいただきます。


第二回 2023年2月3日(金曜日)掲載記事につづく>



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