本文へジャンプします。

IMAGINE ONE ASIA

ここで、ひとつに。

  1. ホーム
  2. ここで、ひとつに。
  3. 【第一回】運動音痴だった私が、華麗に舞う新体操のとりこに(2020年東京オリンピック 新体操 団体総合 8位・2019年世界新体操選手権大会 団体総合 2位 竹中七海選手)

2023年09月26日

【第一回】運動音痴だった私が、華麗に舞う新体操のとりこに(2020年東京オリンピック 新体操 団体総合 8位・2019年世界新体操選手権大会 団体総合 2位 竹中七海選手)

“フェアリージャパン”の愛称で親しまれる新体操ナショナルチームの一員として、2020年東京オリンピックへの出場を果たした竹中七海選手。
あでやかな衣装をまとい、音楽に合わせてリボンやクラブ、フープ、ボールなどの手具を操りながら、13m四方のフロアマットの上を躍動する姿は、まさに妖精そのものです。
キラキラと輝く竹中選手の瞳の奥には、新体操の楽しさを夢中で語る純粋さと、豊富な経験値を生かし、後輩たちの模範となってチームを引っ張っていくのだという責任感が共存していました。


愛知県で生まれ、新体操に打ち込んできた竹中選手は、どのように新体操の魅力に引き込まれていったのでしょうか。第一回は幼少期の思い出や、新体操との出会いについて語ってくださいました。



 
Interviewer
幼い頃はどのようなお子さんだったのですか?

竹中七海選手
すごくマイペースで、のんびりした子どもでした。その性格は今でも変わらず、何かに熱中すると時間を忘れて一つのことに没頭してしまうことがしばしばあります。当時はよく「もう出かける時間だから、早く準備しなさい」と両親に急かされていました。










 

Interviewer
新体操との出会いは何歳の時ですか?

竹中七海選手
5歳の時でした。自宅の近くにいろいろなスポーツ教室を開講している施設があって、両親に連れられて体験に行ったんです。いくつかの競技の中から新体操を選んで体験したのですが、音楽に合わせて体を動かすことがすごく楽しかったのを覚えています。

Interviewer
他の競技に惹かれることはなかったのですか?

竹中七海選手
ほぼ同じタイミングでソフトテニスにも挑戦したのですが、ラケットが重くて片手打ちができずに、1年くらいで挫折してしまいました(笑)。基本的に運動神経が悪くて筋力も全然なかったので、パワーを要するスポーツは不得手なんです。特に球技系は苦手でしたね。だから、そんな運動音痴な自分が、いまだに新体操を続けられていることは奇跡だなとつくづく感じます。

Interviewer
新体操に夢中になったきっかけは?

竹中七海選手
新体操のイメージといえば、多くの方にとってリボンを使った演技が象徴的だと思います。私自身もリボンに憧れを抱いていました。新体操を始めたばかりの幼い頃は安全性の面からリボンを使った練習をすることはできませんでしたが、リボンを使った先輩方の演技を見て、華やかさと美しさに心を打たれ、「いつか私もあんなふうに踊りたい!」という一心で練習に打ち込みました。 

Interviewer
本格的に、競技者として新体操に挑もうと思った転換期はいつ頃ですか?


竹中七海選手
小学生の時、テレビで放映されていたオリンピックを観戦したことがきっかけです。新体操に限らず、いろいろな競技を観ていたのですが、メダルを獲った選手たちがすごく輝いていて、心の底から「カッコいい!」と思ったんです。その頃から「いつか自分もあの舞台に立ちたい」と強く願うようになり、オリンピックが私の夢になりました。



 
Interviewer
新体操以外の競技で、特に好きなスポーツや参考にしている競技はありますか?

竹中七海選手
フィギュアスケートやバレエをはじめとしたダンス系種目ですね。観客に魅せること、表現することが求められる審美系競技はすごく興味があり、テレビや動画なども気になってチェックしています。純粋に観ていて「カッコいい」と思いますし、同じ競技者として学ぶこと、インスピレーションを受けることも多いです。

Interviewer
練習や合宿など苦しいことも多いと思いますが、新体操を辞めたくなったことはないのですか?

竹中七海選手
辞めたいと思ったことはないです。逆に、成績が思うように伸びなかったり、けがで練習や試合ができない時期が続いたりすると「このまま大好きな新体操ができなくなったらどうしよう」と怖くなることはありました。

Interviewer
困難に直面した時や思うように競技ができない時は、どのように乗り越えてきましたか?

竹中七海選手
新体操のトップ選手の映像はもちろんのこと、ダンスやフィギュアスケートの映像なども参考にしながら、細かい技や演技力、表現の仕方などを学びます。その要素を自分の新体操に落とし込み、手の角度や手具の投げ方、つま先など細部にいたるまで、どうしたら良いか突き詰めて考えます。そして、実際に体を動かしていろいろな方法を試しながら、解決策を探るということの繰り返しです。
一度気になり始めると、とことん追求して納得いくまで続けるという性格は、幼少期から変わらないですね。諦めずに最後まで考え抜くというこの探究心や頑固さは、もしかしたら私が新体操を続けられている理由の一つかもしれません。

ただ、糸口が見つからないと時間を費やしすぎてしまうこともあるので、程よくバランスを取ることも大事ですね。切り替えて他の課題に取り組んだり、気分転換をしたりとタイミングも意識するようにしています。

Interviewer
憧れの先輩や目標にしている選手はいますか?

竹中七海選手
2020年東京オリンピックの時、チームを引っ張ってくれた先輩から、すごく多くのことを学ばせていただきました。チーム最年長でありながら、全体練習の後も残って自分に足りないトレーニングや、技の練習に繰り返し取り組む姿。最後の一瞬まで妥協せず、精度を高める努力を惜しまない先輩の様子が今でも脳裏に焼き付いています。そのストイックに自分を追い込む姿を目の当たりにして、自分もその先輩のように努力し続けられる選手でありたいと痛感しました。

他にも、先輩や指導者の方など、心から尊敬できる多くの方々にこれまで支えられてきました。皆さんの助けがあったからこそ、今の私があると心の底から感じます。新体操に打ち込める環境に恵まれてきたことには、感謝しかないですね。






 
Interviewer
竹中選手から見た、新体操の魅力についてお話ください。

竹中七海選手
新体操は、手具の操作や技の難易度を競うだけではなく、音楽に合わせて、時に繊細に時にダイナミックに、観ている人を引き込む表現力が問われる競技でもあります。ある種、身体を使った芸術のような競技ですよね。音楽、手具、身体の動き。そして団体競技であれば、メンバー全員の呼吸。すべてが調和し、一体となった時の美しさは、新体操ならではだと思います。










 

子どもの頃から変わらず、何かに熱中すると時間を忘れて一つのことに没頭してしまう性格です。最後まで諦めずに考え続ける探究心や頑固さは、もしかしたら私が新体操を続けられている理由の一つかもしれません。





運動神経に自信はなかったものの、新体操の体験レッスンを受けた瞬間、その美しさと楽しさに引き込まれていったという竹中選手。納得いくまで考え抜き、自分なりの答えを導き出すまで繰り返し努力し続けるという性格や類まれなる集中力も、トップアスリートへと駆け上がるための重要なアドバンテージになったようです。
第二回では、国際大会の秘話や海外を転戦するナショナルチームの様子などをお届けします。


<第二回 2023年10月3日(火曜日)掲載記事につづく>