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2023年05月09日

【第一回】野球の楽しさに魅了された少年時代(元プロ野球選手 藤井淳志さん)


愛知県豊橋市出身で、元プロ野球選手の藤井淳志さん。俊足、巧打、強肩といった抜群の野球センスを活かし、中日ドラゴンズで長年にわたり活躍されました。
地元である愛知・名古屋で2026年に開催されるアジア・アジアパラ競技大会に向けて、スポーツの魅力や、アスリートの目線から見た楽しみ方について全三回のインタビューでお届けします。
一回目の今回は、野球との出会いや選手としての歩みについて伺います。

※写真撮影時のみマスクを外しています。





 
Interviewer
愛知県豊橋市で生まれ育った藤井さん。どのような幼少期を過ごされたのですか?

藤井淳志さん
小学校の頃は「良くも悪くも目立ちすぎるので気を付けてください」と通信簿に書かれるほど、周りの大人が手を焼く子どもでした。やんちゃなことをするときも、人を巻き込んでしまっていたようです。

Interviewer
幼い頃の思い出の場所や、思い入れのある地はありますか?

藤井淳志さん
地元・豊橋の野球場です。小学校の頃は地元の大会の決勝戦が行われたり、高校野球では県の予選会場だったり、野球の思い出が詰まっています。
年に1回、所属していた球団の公式戦も開催されるのですが、現役時代に地元凱旋となった試合では、サヨナラ本塁打や逆転3ランを放つなど、僕の野球歴にとっては欠かせない場所です。

Interviewer
改めて、野球との出会いについて教えてください。

藤井淳志さん
野球を始めたのは父親と兄の影響です。父親は愛知県屈指の野球の強豪高校出身で、社会人野球の経験者という野球のエリートでした。僕が小学校1年生の時、2歳上の兄が地域の少年野球チームに入ったのを機に僕もついていくようになって、程なくして僕も入部することになりました。





 
Interviewer
お父さんからは野球の英才教育を受けられたのですか?

藤井淳志さん
そんなことないですよ。父から野球に対して強制されたり、細かく教えられたりした思い出はないです。ただただ、野球が楽しくて無我夢中でした。

Interviewer
他のスポーツを経験されたことはありますか?

藤井淳志さん
学校の部活動としてサッカーやバスケットボール、陸上など一通りは経験しました。どの競技も楽しかったのですが、やっぱり僕にとっては野球の面白さには敵わなかったです。
豊橋は野球が盛んな町なので、そういう周りの環境も大きかったのかもしれません。

Interviewer
少年時代のプレーで印象に残っていることはありますか?

藤井淳志さん
当時はショートを守っていて、ピッチャーをやることもあったのですが、スピードは速いのにコントロールが悪くて。
思うようにストライクが入らず、マウンド上で泣いたこともありました(笑)。

Interviewer
その頃から勝ちに対する執着心、負けず嫌いな気持ちが強かったのですね。

藤井淳志さん
たとえ練習試合でも、負けた時はいつも悔し涙を流していました。




 
Interviewer
幼い頃からスポーツに親しんだことで得たもの、プラスになったことはありますか?

藤井淳志さん
言葉使いや挨拶など、人として大切な礼儀を学ぶことができました。またチームスポーツだったことも、僕にとってはすごく良かったです。仲間と一緒に目的に向かって頑張る、目標を成し遂げるという達成感はチームスポーツの醍醐味だと思います。

Interviewer
野球を辞めたいと思ったことや、挫折しそうになったことはないのでしょうか?

藤井淳志さん
野球を辞めようと思ったことは一度もないです。
根拠も何もないのに、小学生の頃に野球を始めてからずっと、将来の夢を聞かれれば必ず「プロ野球選手」と言っていましたし、プロ野球選手に「なりたい」ではなく「なる」と信じていました。




 
Interviewer
信念で夢を叶えたのですね!

藤井淳志さん
やっぱり思い続けるということ、強く信じることってすごく大切だと思います。僕の場合、地元の公立高校から国立大学へ進学しているので、野球のエリートコースからはかけ離れた道を歩んできました。
大学に進学する時も、私立大学の強豪校に進むとお金がかかるため、父親から「野球を続けたいなら、国公立大学に入ること」という条件を出されたんです。
学校の先生からは無謀すぎると言われながらも、野球を続けたい一心で高校3年生の夏から猛勉強。模試ではずっとE判定でしたが、合格ラインぎりぎりで滑り込み、幸運にも合格できました。

Interviewer
社会人野球では、最初から活躍されたのですか?

藤井淳志さん
全然そんなことないですよ!社会人野球の世界に入ってからは、レベルの違いに圧倒されっぱなし。周囲からも、「プロになるなんて、無理に決まっているだろう」と言われていました。
それでも自分の選んだ道を信じ、「絶対にプロになる」と目指し続けた結果、ドラフト3位指名を受けてプロ野球の世界に入ることができました。今思えばミラクルの連続だったと思います。




 

周囲から何を言われても信念を曲げず、自分が信じた夢に向かって努力し続けることが大切。ブレずに「プロ野球選手になる」と言葉にし続けたことで、自分の進みたい方向に向かって自然と道ができていったのだと思います。




幼い頃、野球の楽しさにのめり込み、夢中になってボールを追いかけていた少年時代の気持ちをそのままに、プロ野球選手への道を切り拓いた藤井さん。自分の信念を貫き、強く思い続けることこそが、夢をつかむための最大の原動力になるのだと感じました。
次回は2023年5月16日(火曜日)に掲載予定です。国境や時間を超えるスポーツの力、世界で活躍するアスリートの共通点など第二回も興味深いお話をお届けします。


第二回 2023年5月16日(火曜日)掲載記事につづく>

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