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2023年02月17日

【第二回】怪我を乗り越えた、アジア競技大会でのメダル獲得(東京2020オリンピック テコンドー競技 女子 -49kg 出場 山田美諭選手)

愛知県瀬戸市で幼い頃から実家の空手道場で練習を積みつつ、各種スポーツや芸術にも楽しみながら取り組んでいた山田美諭選手。テコンドーとの出会いで、その才能は一気に世界レベルまで開花します。
順風満帆で、国内無敵の強さを誇った山田選手を襲った「世界との壁」や「怪我との戦い」。その困難をどのように乗り越えたかについて、赤裸々に語ってくれました。
国際大会での経験を含め、世界レベルにステップアップしたからこそ感じた、エピソードの数々をインタビューでお届けします。


※写真撮影時のみマスクを外しています。

■テコンドー競技についての過去の記事
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interviewer
国内無敵といえる強さの山田選手。いつも全日本選手権はどのような気持ちで挑まれていますか?

山田選手
私にとって全日本選手権は、最もプレッシャーを感じる大会でした。
前回チャンピオンという立場で臨む大会ですから、絶対に負けられません!
当時は、全員が私に挑んでくるという重圧がありましたから、楽しいという思いや周りを見る余裕もなかったです(笑い)
しかし、2022年12月25日に行われた第16回全日本選手権は、私自身が4年ぶりの全日本選手権出場でしたから、チャレンジャーとして臨みました。
その結果、今までとは全く違う大会になったと感じます。

interviewer
チャレンジャーとして臨んだ大会。具体的にはどのような違いを感じましたか?

山田選手
はじめて試合を楽しむ余裕が生まれたように感じます。
今まで見ることができていなかった面に気づくこともできましたし、後輩たちが「生き生き」とテコンドーに取り組む姿がとても印象に残っています。
しかも、その中で優勝できましたから、最も印象的な全日本選手権となりました。


 
interviewer
次に、山田選手の海外経験を教えていただけますか?

山田選手
はじめての海外遠征は高校1年生の時に出場した、イランでのアジアジュニアテコンドー選手権です。
はじめての海外遠征かつ、馴染みのない国への渡航ですから不安も大きかったです。
しかし、この大会で海外の代表選手と対戦ができたことは、私自身にとって大きな経験となりました。
それまでは、実家の道場以外でテコンドーの世界に触れることはありませんでした。
この大会で、さらにテコンドーの楽しさを感じることができました。もちろんチームメイトとして参加した日本選手団のメンバーとも交流できたことで、私の視野が一気に広がったと思います。

interviewer
これまでで、最も印象に残っている国際大会について教えてください。

山田選手
2018年にジャカルタで開催された第18回アジア競技大会です。
大きな怪我を乗り越えて挑んだ大会であり、私自身が初めて国際大会でメダルを獲得することができました。


 
interviewer
怪我を克服したとお話してくださいました。第18回アジア競技大会に挑戦するまでに、どのようなことがあったのでしょうか?

山田選手
2016年リオ・オリンピックの代表を決める最終選考試合で怪我をし、オリンピック出場を逃してしまいました。「なぜこのタイミングなんだ…」と、落胆し、先を見失って、しばらく悩み苦しみました。
特に両親にも、オリンピックを目標とし、一緒に頑張ってきたので、「ガッカリされるのではないか」という不安もどこかありました。
ところが「美諭が元気でいてくれたらそれでいい」と優しく受け入れてくれ、心が救われたことをよく覚えています。
また、大勢の方々に、それまでと変わらず、私を応援してくれたことで「テコンドーを頑張りたい!」という気持ちになりました。
代表に選ばれた2018年のアジア競技大会では、支えて下さった皆さんへの恩返しをしたい気持ちが強かったです。

interviewer
そして、大会では悲願の銅メダル獲得。その時の気持ちは?

山田選手
それまで私は大きな世界大会でメダルを獲得した経験がなく、いつもメダルまであと一歩のところで負けていました。「日本では勝てても、世界では通用しないのか」という葛藤がありました。
そのような悔しい気持ちが続く中で、さらに怪我を乗り越え挑んだ大会で、銅メダルという結果を出すことができた時は、本当に嬉しかったです。
日本に「メダル」という形あるものを持って帰ることができ、恩返しができたと感じました。この経験をしてから自分に自信が持てるようになり、メダルに対する意識が変わりました。

それまでは「メダル」を目標としていました。
しかし、メダル獲得を経験できたからこそ「負けたくない」という気持ちが強くなり、目標が「金メダル獲得」に変わりました。
そこから、世界大会でも結果を残せるようになったと思います。

第18回アジア競技大会は、アスリートにとって「メダル獲得」か「金メダル獲得」かの目標の違いにより、試合への臨み方に大きな違いがあることに気づかされた転機となりました。


 
interviewer
試合以外のことで印象的に残ったことは?

山田選手
選手村が楽しかったです!
テコンドー競技は出場人数が少ないので、他競技の選手と相部屋になることがあります。
その時はカバディの選手と一緒になりました。競技のルールやプレーすることになったきっかけなど、いろいろ話をしました(笑い)とても楽しく、たくさん刺激を受けました。
こういった交流も総合大会ならではの楽しみだと思います!

アジア競技大会のような大きな大会では、今までとは違う経験をもたらしてくれます。
東京2020オリンピックに出場したいと具体的な目標を持てたのも、アジア競技大会があってこそでした。


 

私にとって、2018年第18回アジア競技大会はターニングポイントになりました。






国内最強であるが故のプレッシャーと、大きな怪我を克服して得られた更に高い目標。
次回は、支えてくれる人々への感謝の気持ちを胸に挑んだ、東京2020オリンピックについてお話を伺います。
また、2026年に地元愛知・名古屋で迎える第20回アジア競技大会への率直な思いもお届けします。


第三回 2023年2月24日(金曜日)掲載記事につづく>


【第一回】テコンドー競技との出会い(東京2020オリンピック テコンドー競技 女子 -49kg 出場 山田美諭選手)
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